EVENT イベント情報

2024 9/22(日) 開演 14:00
(受付 13:30)
参加者募集中

講演会|〈ニ峠六宿〉ユニークべニュー事業

山岡鉄舟、決死の逃亡劇の舞台 『望嶽亭』篇

江戸城無血開城に向け、徳川慶喜より命を受け
西郷隆盛との直談判に向かった

講師/静岡・山岡鉄舟会
事務局次長 原 啓二氏

昭和17年(1942年)、静岡県静岡市(旧清水市)生まれ。
母親が望嶽亭を代々守ってきた家の出身と云うこともあって、静岡・山岡鉄舟会が2004年、静岡に発足して以来、会の活動に携わっている。

会場
望嶽亭藤屋 静岡市清水区由比西倉澤84-1
TEL.080-1563-2737
料金
参加費無料
定員16名 ※応募多数の場合は
抽選とさせていただきます。

明治元年、西郷隆盛と会談する為に静岡に向かう山岡鉄舟は、薩埵峠で官軍に追われて望嶽亭に飛び込みました。そこは由比宿と興津宿の『間の宿(あいのしゅく)』で、江戸時代には脇本陣も務めた望嶽亭の蔵屋敷で、鉄舟は漁師姿に着替えて隠し階段を降り、海から小舟で脱出。その後、清水江尻の侠客・清水次郎長の元で身を隠し、駿府で西郷隆盛と会談し、『無血開城』が成功…。命を受け、決死の覚悟で挑んだ鉄舟の生き様と、望嶽亭が歴史の波にのまれていく一幕を語ります。会場では特別に、鉄舟が置いていったフランス式拳銃も見学いただきます。

<WEBフォームでお申込みの場合>
2024.9.5(木)申込締切
<官製はがきもしくはメールでお申込みの場合>

以下①〜⑨をご記入の上、
お申込みください。

  1. ①郵便番号
  2. ②住所
  3. ③氏名
  4. ④フリガナ
  5. ⑤生年月日
  6. ⑥勤務先
  7. ⑦連絡先
  8. ⑧メールアドレス
  9. ⑨同伴参加人数
  • ※同伴者の方は1名様まで参加できます。
宛 先
「山岡鉄舟と望嶽亭 講演会」係
住 所
〒422-8061 静岡市駿河区森下町1⁻35
SBSプロモーション
メール
tokugawa-mirai@shizuokaonline.com
申込み受付期間
令和6年9月5日(木)必着
  • ※応募多数の場合は抽選とさせていただきます。
当選発表
発表は9月12日(木)前後
※締切り後の発送等をもって発表とかえさせていただきます。
お問い合わせ先
事務局 TEL.080-1563-2737
2024 1/28(日) 開演 14:00
(受付 13:30)
募集は終了しました

講演会|〈ニ峠六宿〉ユニークべニュー事業

寺から山城へ、
そして神社として変遷を遂げてきた史跡価値
家康公も認めた要衝 久能山

時に修行の場として、時に戦国の砦として、
最後に平和を見渡す頂きとして久能山は存在した。

講師/久能山東照宮 権禰宜
竹上政崇氏

浜松市生まれ。皇學館大学文学部神道学科を卒業。
平野神社(京都市)に奉職、一時飲食業の経験を経て、生國魂神社(大阪市)に奉職。その後、平成27年より久能山東照宮に奉職。

会場
久能山東照宮 静岡市駿河区根古屋390
TEL.054-237-2438
料金
参加費無料
定員50名(先着) ※参拝料、博物館の入館料は
 個人負担となります。

久能山は飛鳥時代に「久能寺」が開かれ、鎌倉時代には聖一国師など高名な僧侶も訪れた地です。時に信玄が信濃から侵攻し、南海の砦「久能城」として久能山を支配。家康がそれに対抗しました。いにしえより僧侶の修行場として機能し、戦国時代には軍事戦略上の砦として重要な役割を果たした時代もありました。平安が望まれた家康統治の時代には、駿河湾と伊豆半島、西は御前崎迄が見渡せる事から、安全保障上の海上監視の役割も果たしました。今では煌びやかな国宝として久能山東照宮がありますが、講演会では江戸幕府が開かれる以前の、久能山における知られざる役割と機能を、歴史エピソードも添えて語られます。

2023 12/3(日) 開演 14:00
(受付 13:30)
募集は終了しました

講演会|〈ニ峠六宿〉〜ユニークべニューを活用したオンラインシンポジウム

坐漁荘で出会う、静岡ゆかりの偉人 最後の元老、西園寺公望

東海道17番目の宿場町、興津宿。大正から昭和にかけて、
政財界人の多くの重鎮がこの地を訪れた。西園寺公望の助言を求めて―。

講師/渡辺浜男氏

郷土史家。静岡県沼津市生まれ。
旧清水市職員として文化財保護を担当。著書は『古代中世久能寺とその芸能』(2019)ほか。

会場
興津坐漁荘 静岡市清水区興津清見寺町115
TEL.054-369-2221
料金
参加費無料
定員25名(先着)

近代日本において、最後の元老として内閣総理大臣を選定できる役割を担い、昭和天皇に意見を言える立場にもあった西園寺公望。そんな国家の重臣が別荘として築いた屋敷が興津坐漁荘です。激動する日本政治の数々の局面であってもブレることなくリベラルな姿勢を貫き、興津から当時の政治を動かしました。西園寺の知られるざる素顔や地域に根差す歴史エピソードや坐漁荘の魅力が語られます。

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