講演会|〈ニ峠六宿〉ユニークべニュー事業
時に修行の場として、時に戦国の砦として、
最後に平和を見渡す頂きとして久能山は存在した。
浜松市生まれ。皇學館大学文学部神道学科を卒業。
平野神社(京都市)に奉職、一時飲食業の経験を経て、生國魂神社(大阪市)に奉職。その後、平成27年より久能山東照宮に奉職。
久能山は飛鳥時代に「久能寺」が開かれ、鎌倉時代には聖一国師など高名な僧侶も訪れた地です。時に信玄が信濃から侵攻し、南海の砦「久能城」として久能山を支配。家康がそれに対抗しました。いにしえより僧侶の修行場として機能し、戦国時代には軍事戦略上の砦として重要な役割を果たした時代もありました。平安が望まれた家康統治の時代には、駿河湾と伊豆半島、西は御前崎迄が見渡せる事から、安全保障上の海上監視の役割も果たしました。今では煌びやかな国宝として久能山東照宮がありますが、講演会では江戸幕府が開かれる以前の、久能山における知られざる役割と機能を、歴史エピソードも添えて語られます。
講演会|〈ニ峠六宿〉〜ユニークべニューを活用したオンラインシンポジウム
東海道17番目の宿場町、興津宿。大正から昭和にかけて、
政財界人の多くの重鎮がこの地を訪れた。西園寺公望の助言を求めて―。
郷土史家。静岡県沼津市生まれ。
旧清水市職員として文化財保護を担当。著書は『古代中世久能寺とその芸能』(2019)ほか。
近代日本において、最後の元老として内閣総理大臣を選定できる役割を担い、昭和天皇に意見を言える立場にもあった西園寺公望。そんな国家の重臣が別荘として築いた屋敷が興津坐漁荘です。激動する日本政治の数々の局面であってもブレることなくリベラルな姿勢を貫き、興津から当時の政治を動かしました。西園寺の知られるざる素顔や地域に根差す歴史エピソードや坐漁荘の魅力が語られます。